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憧れの旅館・ホテル

オーベルジュ・セ・ラ・セゾン

 

新千歳空港から高速道を使い、レンタカーで一時間余り、小樽郊外の銭函の地、北海道で最も交通量の多いといわれる国道5号線のすぐ脇に「オーベルジュ・セ・ラ・セゾン」が、ある。 写真等で見るよりも、やや色褪せた感のする建物であった。

  

駐車場には観光バスが停まっていた。 建物の中に入りチェックインをした時、すぐそばのメインダイニングでは大勢の客が昼食の真最中であった。観光バスで訪れた客たちであろう。 賑わしさを横目で見ながら螺旋階段を登り、二階の部屋に案内をしてもらった。

部屋は、「チェリー」、62uの広さを持つ。

  

重厚なセミダブルサイズのベッドが二つ、布張りの応接セット、4人掛けのテーブルと椅子、それにライティングデスクが備え付けられてあった。 すべてアメリカの同一会社の家具で統一されているということである。 テレビだけが場違いな存在感を誇示していた。

  

水回りは、シングルシンクの洗面台と、シャワーブースとバスタブ一体型の浴室(これだけはマンションのバスルームの雰囲気)であり、トイレは独立している。 設備類は外国製であり、普段使い慣れていない身としては、とまどうこともあった。 シャワートイレでないのが残念であったが、オーナーのこだわりを感じる統一されたデザインの鏡・手洗い器・便器であり、改装に躊躇する気持ちも理解できないことはない。 ソファーは大型で、とても座り心地の良いものであったが、布地は色褪せてきており、心持ち侘びしさを感ずる。そろそろ張り替える時期ではないだろうか。

部屋のかなりの部分が窓で占められており、開放的で、とても明るい雰囲気である。 窓からは石狩湾が眺められるが、海までの間に民家が点在していて絶景とは言い難い。

  

 

(応対)

真面目で、きっちりとしているが、もう少し笑顔でフレンドリーな応対のほうが良いのではないか。 しかし、冷たい応対というわけではなかった。

 

(夕食)

シェフおまかせコースを頼んだ。 メニューが無いため、記憶を辿って書き記してみる。多少の間違いはご容赦を。

オードブルは4種類が別々の皿で運ばれてきた。 北海道の野菜や海の幸は本当に美味しい。 素材の良さを生かし、そのまま味わうことの出来た料理であった。 一方、肉類は今一歩、ソースに深みも感じなかった。 パンはフランスパンのみであったが、とても美味しかった。 皮がパリ、中がムチッと食感は最高であった。バターをつけなくても充分美味しかった。 食前酒のシャンパンはモエ・エ・シャンドン。テーブルワインはカルフォルニア産の白(銘柄は失念した)でスモーキーな香りがとても強いものであった。 赤は、腹が一杯でとても頼めなかった。
食器は、ノリタケのフォーマルなタイプで統一されていた。

 

(寝具)

ベッドのマットはスプリングの弾力が他の部分に波及する旧式のもので、寝心地はあまり良くない。 リネン類は普通、枕は羽毛であった。 バスローブがあったが、洗濯で縮んで「ちんちくりん」であった。これは、いただけない。

 

(朝食)

選択の余地は無かった。

  

  

オレンジジュース・牛乳・半熟ゆで卵2個・軽く炙った生ハム・グリーンサラダ・フルーツ取り合わせ(オレンジ・グレープフルーツ・キーウィ・パパイヤ)・ヨーグルト、それに紅茶かコーヒーである。 パンは、クロワッサンと2種類のトースト。 牛乳が脂肪分たっぷりでとても美味しかったが、オレンジジュースはいまいち。

 

(感想)

木造の建物、海からの潮風や冬の過酷な環境で色褪せてきていました。 宿泊部分も古さを感じました。 あまりにこだわりの強いインテリアなので改装しにくいのでしょうが、こちらとしては経年劣化を感じずにはいられませんでした。 手を入れていかなければ、「しょぼい雰囲気」となってしまいます。
「瀟洒な雰囲気」といったものが特に大事ではないでしょうか。
寝具も大切だと思います。マットやリネン類、バスローブ、もっと高級なものにしないと良い印象が残りません。 部屋数が少ないのだから、充分できると思うのですが。
夜は地域の交流会で賑わっていました。 翌日のチェックアウト時、テーブルセッティングで忙しそうでした。結婚式のパーティーの準備であり、75人の招待客だそうです。

  

 

翌々日の昼どき新千歳空港へ向かう途中、前を通ったら駐車場には観光バスや数台の乗用車が停まっていました。 バンケット部門で充分潤っているのかもしれませんが、この時期、手を入れるべき所には手を入れておかなければいけないのではないでしょうか。

2004年7月末訪問